過日になりますが、映画「閉鎖病棟」を見てきました。
坂の上にある、とある精神科病院。
坂の下の住民は揶揄も込めて患者を「坂の上の人」と呼ぶ。
主要キャストは、3人。殺人事件を犯し死刑となったが、死刑執行が失敗し、当該の病院に送られた老人。精神病を患ってはいるが、現在は比較的安定しているように見える青年。そして父親からの性的虐待が原因で入院する、女子高校生。
それぞれがそれぞれの背景、心の闇、家族の無理解等を抱えながらも、病院内で心を通わせていく…
そんなある日、ある出来事が原因で、院内で殺人事件が起こる。
その出来事がきっかけで3人はばらばらになり、それぞれの道を歩みだす…
あまり書くとネタバレになるのやめますが、簡単なあらすじは上記のようなものです。
閉鎖病棟自体の問題も社会問題ではありますが、ここでは(少なくとも映画では)、重要なテーマではありません。
むしろ、弱い心を抱え、社会から疎外されたように見える人々が、押しつぶされそうになりながらも、心を通わせ、そしてまたその交流を失っても、また1人でも立ち上がろうとする姿が描かれており、私自身統合失調症を持つ身としても、非常に共感のできる内容でした。
映画では社会的偏見についても、それほど主要なテーマではありません。
ただ、病院からの外出を許され買い物にいった商店で、患者たちが帰ったあとに、その店の奥さんが「あんな人たちを外に出していいのかね」と呟くシーンや、綾野剛演じる青年の妹が「こんな狂った人を世の中に出して何か起こったらどうするんですか!」と言い、看護師にたしなめられるシーンなどもあり、スティグマ(偏見)の問題を意識せざるを得ない部分もあります。
私自身、最近は統合失調症の当事者会にも参加していますが、そこで感じるのは、「普通」などという基準は本当はないのだということ。あるいは人それぞれだということ。
仕事をし、結婚し、子供を育てることだけが普通なのでしょうか?
精神障害を持っている人には、望んでもそれが叶わなかった方たちが多くいます。
それでも、病状等で辛くても、みんな一生懸命に、真剣に生きています。
もちろん一部にそうでない人もいるかもしれませんが、それはいわゆる「健常者」でも同じではないですか?
生活保護や年金をもらい悠々と生活していると揶揄する風潮もありますが、社会的弱者を救う、セーフティーネットを整えることは当然の社会・政治の責任です。
そして、誰もが社会的弱者になる可能性があるのです。いつ事故や病気等になるかわかりません。
それでも「自己責任」の名のもとに障害者や社会的弱者を批判・排除しますか?
映画の本筋とはずれるかもしれませんが、そんなことも考えさせられました。
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映画では、ラストに向かって、3人それぞれがそれぞれの「仕方」で立ち上がります。
そういったそれぞれの「やり方」を支える社会であってほしい、もちろんそのために制度・法律を整えることも重要ですが、社会的弱者への温かい眼差しを多くの人に持ってほしい。
切に、そう感じます。
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